前回の記事で触れた「ヤシカ」が「京セラ」と合併した1983年頃から、私は自転車に興味を持つようになりました。競技用のロードレーサータイプのものではなくて、今はほとんど聞くことがなくなった「ランドナー」や「スポルティーフ」という自転車旅行(ツーリング)用の自転車にです。20代を過ぎてしばらくすると、今も刊行されている雑誌「サイクルスポーツ」を毎月買って読むようになりました。当時はB5サイズの紙面で、自転車旅行に関する記事や投稿が多く掲載されており、いつの日か「日本一周」や「世界一周」が出来たらいいななどと思っていました。そう言えば、「New Cycling」という濃い雑誌もありましたね。現在は休刊中のようですが・・・。(その後、世界一周とまではいきませんでしたが、ドイツを中心にヨーロッパの約4000㎞を、2か月余りかけて回る自転車旅行を経験しました。このことはまた改めて書けたらと思っています。)
旅行用自転車「ランドナー」
最初に乗ったのは、当時の日米富士自転車の「Olympic Newest」という輪行ランドナーでした。亀甲パターンの泥除けや、ちょっと太めのタイヤに旅心をくすぐられた気持ちを思い出します。当時は、今のマウンテンバイクやクロスバイクのような車種は無くて、旅行車と言えばこのランドナーかスポルティーフ、本格的にはキャンピング車という区分けでした。
このランドナータイプの自転車は当時の大手ですと、ブリヂストンの「ユーラシア」や「アトランティス」、ミヤタの「ル・マン」、丸石の「エンペラー」、片倉の「シルク」、山口の「べニックス」、パナソニックの「ラ・スコルサ」そして富士の「オリンピック ニューエスト」、「オリンピック ファイネスト」と競合車種が沢山あって目移りして、悩んだものです。そう言えば、神田には「アルプス」という人気のショップもありました。(廃業されたようです)現行、ランドナーのモデルとして製造販売されているのは、丸石の「エンペラー」のみです。他には「アラヤ」くらいかと思います。あとはそれぞれのショップでのオーダーモデルになろうかと思います。中国製で「Davos」というのもあります。名前がいいですね。私にとっては思い出の地でもあります。ランドナーの灯、消えて欲しくないです。因みに「片倉シルク」の「片倉自転車工業」は八王子とも縁があります。1964年のオリンピック日本チームの使用自転車に片倉製が採用された事(自転車競技は八王子開催)や、そのトラック競技跡地の「都立陵南公園」など後日取り上げてみたいテーマです。
「輪行」
私は、自転車を購入後、「輪行」であちこち旅を始めました。「輪行」というのは、自転車を分解して専用のバッグに入れ鉄道・バス・船・飛行機などで移動し、交通機関を降りたところで組み立てて走り始めるというものです。これは日本独特のやり方らしく、ヨーロッパなどでは、自転車を車両の中にそのまま持ち込むことが出来ます。日本でも最近はJRで、房総方面に自転車をそのまま持ち込める列車を運行しているようです。
私が自転車旅行をするようになった頃は、JRではなくて「国鉄」でした。国鉄時代は夜行の各駅停車の列車や急行、寝台特急や急行がまだ全国に沢山走っており、まさに「輪行天国」でした。私がよく利用したのが、新宿発長野行きの夜行普通列車、新宿発白馬行きの夜行急行「アルプス」、上野発直江津行きの夜行急行「妙高」、東京発大垣行きの夜行普通列車、山陰方面へは夜行寝台特急「出雲」、四国方面には夜行寝台特急「瀬戸」、九州方面には夜行寝台特急「はやぶさ」や「富士」などです。
自転車で、遠い地を走るのももちろん魅力ですが、「輪行」をすることによって夜行列車の旅の魅力にもはまってしまいました。車窓から夜の風景をぼんやり眺め、さまざまな事を想い、そして早朝の駅に降りる。この時間の味わいがなんとも心地が良いのです。「旅情」というやつでしょうか。これは新幹線では味わえません。
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ある時、信州のツーリングを終えて、長野駅から新宿行きの夜行普通列車に乗りました。出発は23時台だったかと思います。編成は4両だったか何両だったかは記憶に定かではありませんが、長野からの乗車は私一人でした。車掌さんが声を掛けてくれて、「こうやると寝やすいよ。」と座席の外してベッド代わりにする方法を教えてくれました。実にのどかな時代でした。国鉄がJRになり、効率化の名のもとに様々な路線、列車が廃止されました。国鉄時代の終わりの一時期を味わえた私は、ある意味幸せでした。
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旅先熊本で買った「京セラTD」
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さて、見出しの阿蘇「草千里」の写真は、九州へ輪行ツーリングをした時のものです。熊本駅に着いて、自転車を組み上げ、走り始めようとした時、カメラを忘れたことに気が付きました。前回の記事で書いた、「ヤシカエレクトロ35」は相次ぐ落下などが原因でジャンクとなってしまい、当時はコニカの小型カメラC35 EF3を持っていました。(実はこれもカメラを忘れた為、松本の写真店で買ったものです)寝台列車を使って「贅沢」をしたので、痛いなあと思ったのですが、そう何度も来られない九州の写真を撮っておきたかったので、思い切ってカメラ屋さんに行きました。
そこで進められたのが、「京セラTD」です。京セラがヤシカ合併後に製造販売したオートフォーカスのコンパクトカメラです。「カールツァイス・テッサーレンズを使っていますから、映りはいいですよ!」とのこと、手持ちの残金が寂しくなるような値段でしたが、(多分4万円くらいしたかと)購入しました。偶然店員さんに勧められたこの「京セラTD」がその後の旅のお供になり、ヨーロッパ4000㎞自転車旅行にも携帯することとなりました。ここで「エレクトロ35」と「京セラTD」が繋がりました。
防水機能はありませんが、実に使いやすいカメラでした。自転車のフロントバッグのポケットにスッポリ収まる大きさで、ホールド感も良く、何も考えずに撮る私にはピッタリでした。店員さんも勧めてくれたように、程よいシャープ感と色乗りが気に入りました。現在でも、中古品が手に入るようです。その後、あまりにも過酷に使用した為、このカメラも「エレクトロ35」同様、数年後ジャンクと化してしまい、処分しました。今は手元にありません。機会があったらまた手にしたいカメラです。
参考:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%8A%E3%83%BC
:KenkoTokina コニカミノルタ製品アフターサービス
https://www.kenko-tokina.co.jp/konicaminolta/history/konica/1980/1981.html
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