減りゆく風景 その1 「電話ボックス」
昭和生まれの私は、電話の変遷と共に生きてきたとも言えます。小学校低学年の時に黒電話がやってくるまで、家には電話がありませんでした。それまでは、今ではもう死語となったしまった「呼び出し」で近所の電話を借りていたと思います。...
昭和生まれの私は、電話の変遷と共に生きてきたとも言えます。小学校低学年の時に黒電話がやってくるまで、家には電話がありませんでした。それまでは、今ではもう死語となったしまった「呼び出し」で近所の電話を借りていたと思います。...
また虫ネタで済みません。どうしても私の限られた行動範囲、日ごろのお散歩カメラのコースの浅川沿いや、里山の小道で目にしたことを取り上げることが多くなってしまいます。虫ネタが苦手な方はスルーして下さいね。 さて、先日、いつも...
梅雨入りとなり、雨の季節となりました。勤務先の休業が解かれて、先週より今までとは違う勤務となりました。しばらく慣れるまで時間が掛かりそうです。ようやく、新しい記事をアップ出来ました。と言っても、前回の続きネタなのですが・...
前回の記事で触れた「ヤシカ」が「京セラ」と合併した1983年頃から、私は自転車に興味を持つようになりました。競技用のロードレーサータイプのものではなくて、今はほとんど聞くことがなくなった「ランドナー」や「スポルティーフ」...
私が最初に手にしたカメラは、メーカーもモデルも覚えていません。物心ついたころから家にあったもので、ブローニーフィルム用で、フォーマットは6×6でした。ライカのように高価なものではなく、持った感じもどちらかと言えば軽かった...
2000年を過ぎた辺りから、写真のデジタル化が一気に加速しました。その後、銀塩写真とデジタル写真の割合は逆転。カメラメーカー、フィルム・感材メーカー、現像所は次々に銀塩写真から撤退し、業界も再編され、現在に至っています。...
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