甘い蜜の元にはトゲがある「ニセアカシア」の話
私の散歩コースの八王子・浅川の土手や河川敷で自生している木の中で多いのが、オニグルミ、クワ、そしてニセアカシアです。
このニセアカシア、5月頃小さな白い房状の花を咲かせ、川沿いに甘い香りを漂わせます。その楕円形で対生する葉は独特で、この季節の青空によく映えるので、私も写真の題材にします。
先日、河川敷でまだ高さが1メートルにも満たないニセアカシアの木を見つけました。その木の葉と空の写真を撮ろうと近づくと、枝が分かれているその元には赤味を帯びた「トゲ」がある事に気が付きました。いつも葉の方にばかり気を取られていたので、いままで全く気が付きませんでした。丸みのある柔らかい感じの葉とは正反対の鋭い「トゲ」です。これは、先っぽの葉や花は食べられても、元のほうは食べられないようにする生き残りの戦略なのでしょうか?
日本のニセアカシアは明治時代、北米から輸入され、街路樹や砂防用に植栽されたのが始まりとされています。輸入当時アカシアと称されていた為、その呼び名が一般化してしまったようです。本来の「アカシア」はまったく別の主にオーストラリアやアフリカ原産の黄色い花を咲かせるアカシア属の木です。(ニセアカシアはハリエンジュ属)ニセアカシアは北海道の開拓使が北米から輸入し、札幌農学校の畑に試験的に植えたものを起源とする説と、東京府下(当時)の練兵場に植えられたものを起源とする説があるそうです。
有用植物だが要注意外来生物※
その後、その繁殖力の強さとその有用性も相まって、一気に日本全国に広まったようです。その用途は幅広く、食用(花や新芽、アカシア酒、ハチミツの蜜源)、緑化資材(治山、砂防、荒廃地の緑化、街路樹など)、薪炭材(寒冷地の暖房用)、土木資材(炭鉱・鉱山の坑木用)などに幅広く利用されてきました。明治以降の日本の近代化を、影で支えてきた木であるとも言えるかと思います。
一方、その旺盛な繁殖力によって、在来の植物の生態を脅かす存在となってしまったのも事実です。マメ科植物特有の根粒菌との共生のおかげで成長が早く、他の木本類が生育できない痩せた土地やでもよく育つ特徴があります。その為、治山や砂防の目的で奥地に植えられたものが、川沿いに広がったものが多いようです。
先日河川敷で見かけた1メートルに満たないニセアカシアは、2019年の台風被害で流されてきた土砂の中にその根が残っていて、そこから成長してきたものかと推測出来ます。新しく出来た浅川の河川敷は、まだ岩や石がゴロゴロしていてその中に雑草(外来種)やニセアカシアのような植物がまばらに生えている状況ですが、このままの状態が続くと,数年後には外来種の鬱蒼とした茂みが出来上がるのではないかと思います。
爆発的な繁殖力を持つことから環境省がアメリカザリガニやワニガメなどと同じ「要注意外来生物リスト」に入れている一方、養蜂家が保護に努めるなど、立場が難しい木となっています。ニセアカシアは単独で木本の生物多様性を低下させるだけだはなくて、好窒素性草本やつる植物を伴って占有し、周辺の植生を独自なものに変えてしまうという生態学的には問題の多い植物とされています。繁殖力が強い為、その除去には現状では除草剤を使用しなければならないようです。それなりの予算が必要となり、対応に苦慮している自治体も多いようです。
※「要注意外来生物リスト」は「生態系被害防止外来種リスト」の作成に伴い平成27年3月に廃止された為、現在は後者のリストに記載されています。https://www.env.go.jp/nature/intro/2outline/iaslist.html環境省 日本の外来種対策
日本のハチミツの約半分は「ニセアカシア」が蜜源
5月頃、河川敷にニセアカシアの白い花の甘い香りが漂うと、新緑の季節を実感します。様々な問題の元になっているニセアカシアですが、多くの外来種同様その姿だけ見ていると、この木のどこが悪いのかと思ってしまいます。私も調べていて驚いたのですが、日本のハチミツの約半数はこのニセアカシアが蜜源なのだそうです。その成長力・繁殖力に加え、その花を蜜源とする蜜の風味が良い事も要因かと思われます。
私は、八王子に越してきた20年ほど前、隣の町田市にある玉川大学農学部の「収穫祭」なるイベントに行ったことがあります。付属の農場や牧場で採れた野菜や花、乳製品・畜産物なども販売されていて、随分と賑やかだった記憶があります。その時確かハチミツを買って帰りました。「アカシア」のハチミツです。
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なんでも、玉川大学の農学部では昔からミツバチの研究が盛んだそうで、その筋ではよく知られた存在のようです。アカシアのハチミツがどんな味だったかは覚えていませんが、実は一般的に売っている「アカシア」のハチミツは本当は「ニセアカシア」の花を蜜源にしたものだそうです。歌などに歌われたり、並木道の名前になっているアカシアは実は皆ほとんどニセアカシアなのだそうです。調べてみると、この玉川大学のハチミツは「たまがわはちみつ」という名で玉川学園購買部で現在も販売されています。実店舗の他、ウェブストアからの購入も可能のようです。種類も沢山あります。私も買ってみようかと思います。まずは「アカシア」ですかね・・・。https://tamagawa-cs.jp/SHOP/152769/152770/list.html玉川学園購買部
ミツバチと言えば、今日本にいるそのほとんどが外来種ということで、元々の日本在来のミツバチはその数が減り、一部の養蜂家などによって守られているようです。またこのニセアカシアを取り巻く問題は結構難しく、生態系、養蜂、農業、経済、自治体と絡み合い一筋縄ではいかないようです。機会をみてまた触れてみたいテーマです。
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参考:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%BB%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%82%A2
環境省 日本の外来種対策 https://www.env.go.jp/nature/intro/index.html
養蜂と蜜源外来種ニセアカシア 慶応義塾大学経済学部大沼あゆみ研究会https://onumaseminar.com/assets/Intercollegeseminar/2014/seitaikei.pdf
玉川大学ミツバチ科学研究センター https://www.tamagawa.jp/research/academic/center/honey.html
架け替えられた「松枝橋(まつえはし)」を渡り初め
今朝は久しぶりに、八王子・四谷町から楢原町方面に足を延ばしました。北浅川に架かる「松枝橋」を渡ります。この橋は数年前から架け替え工事が行われており、最近まで仮の橋の方を通行するようになっていましたが、今朝行ってみると、すでに仮の橋は閉鎖されており、新しい橋を通行するようになっていました。私にとっては「渡り初め」です。
仮の橋に慣れていたこともあるでしょう、新しい橋のゆるいアーチのお陰か、川面からの高さが上がり、歩道からの見晴らしが良くなったように思えます。ただ設計された方には申し訳ないですが、味もそっけもないシンプルな外観です。せっかく架け替えるなら何か「らしさ」が欲しかったです。
この周辺も例外ではなく、昨年の台風の影響で、流域がかなり荒れており、河川敷の整備工事が進んでいます。橋から望む上流の流れの幅は以前に比べ広くなったようです。土砂が取り除かれたのかと思います。下流側は今も工事が進行中です。
橋に付けられた新しいプレートを見ると、「まつえはし」とありました。「ばし」ではなく「はし」となっていました。正式名は「松枝橋(まつえはし)」なのですね。初めて知りました。この周辺にも「陵南大橋(りょうなんおおはし)」や「陵北大橋(りょうほくおおはし)」、「城山大橋(しろやまおおはし)」など「ばし」と呼ばない橋がありますが、これは意外でした。この濁点が付く付かないの違いは、名前や地名でもよくありますが・・・。
「橋」も私の撮影対象の一つですが、やはり橋全体を画角に入れて迫力のある写真にするには、超広角のレンズが必要かなと思っています。今所有しているレンズで橋全体を撮ろうとするとどうしても遠景になりがちです。もう少し寄って撮りたいと思う時が多いです。欲しいレンズは沢山あるのですが、次は超広角のズームかなと思っています。最近始めた星景にも使いたいです。
候補は四つあります。TAMRON 超広角ズームレンズ SP AF10-24mm F3.5-4.5 DiII ペンタックス用 APS-C、SIGMA 超広角ズームレンズ 10-20mm F4-5.6 EX DC ペンタックス用 APS-C、SIGMA 超広角ズームレンズ 10-20mm F3.5 EX DC HSM ペンタックス用 APS-C専用 、PENTAX 超広角ズームレンズ DA12-24mmF4 ED AL[IF] Kマウント APS-Cサイズ です。
純正品やSIGMAのHSMは中古価格も高いので、HSMでないSIGMA かTAMRONになるかなと思いますが。思案中です。もし、購入することが出来ましたら、その使用感を写真を掲載しながらお伝えしたいと思います
2020年6月
参考:東京の橋 https://www.djq.jp/tokyo_bridge_top_page.html
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奇麗だけれど、実は「特定外来生物」(オオキンケイギク)
オオキンケイギク(大金鶏菊)
私は朝の「お散歩カメラ」で、ほぼ毎日近くの川の河川敷や土手を歩きます。四季折々、植物やその花も撮影の題材になります。元々私は植物についても不案内ですので、写真を撮ってからその名前を調べる事が多いです。
この写真も最近撮ったものですが、名前が分からず、ネットで調べました。便利な時代です・・・。画像で確認すると、この花は「オオキンケイギク」というキク科の外来種である事が分かりました。北アメリカ原産の宿根草で観賞用に持ち込まれたものが野生化したそうです。一見キバナコスモスのようですが、花の色の黄色が強く、花びらのギザギザ、葉が細く真っすぐなので区別出来ます。マーガレットにも少し似ています。
日本には、「特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律 2005年施行」略称:外来生物法または外来市被害防止法)という法律があって、様々な動植物が分類の上、指定されています。日本在来の生物を捕食したり、これらと競合したりして、生態系を損ねたり、人の生命・身体、農林水産業に被害を与えたりする、外来生物による被害を防止するために定められた法律です。
このオオキンケイギクは、「指定第二次指定種」として法律施行後すぐに追加指定されました。これにより、栽培・譲渡・販売・輸出入などが原則禁止されています。また、日本生態学会により日本の戦略的外来種ワースト100に選定されています。「特定外来生物」で移動は禁じられているので、奇麗だからといって持ち帰ったり、植え替えたりは法律上は出来ないのですね。自治体によっては駆除も行っているようです。一言に「駆除」といってもなかなか難しそうですね。根っ子や種が残らないように「駆除」するには相当の手間と時間とお金が掛ることが想像出来ます。
私が散歩する八王子・浅川の土手や河川敷は、オオキンケイギクのような外来種のオンパレードのようです。この時期ではナガミヒナゲシ、ムラサキツメクサ、ヒメジョオン、ハルジオン、セイヨウタンポポ、へラオオバコなどなど。日本全国どこの川沿いも同様かと思います。昨年、相次ぐ台風で川沿いの土砂が流され、新たな河川敷が出来ている場所がありますが、そこに真っ先に入り込み根付いてくるのが、この種の植物たちです。「特定外来生物」に指定される理由も分かります。
生き物(ペットとしての)や、観賞用の植物。奇麗、可愛いと人間の自己満足の為に導き入れたもの。一旦、外(自然界)に放ってしまうとその後は予想もつかない結果を招くかも知れないのです。その「しっぺ返し」は在来生物への影響だけでなく、結局人間自身に戻ってくるのですね。人間が、今と同じような営みを続けていく限り、このような問題は無くならないのでしょうか。昨今の、日本の気候の亜熱帯化も含め、これから身の回りの環境にも気を配らないといけませんね。
「オオキンケイギク」、奇麗な花ですよね。ここに咲いている花そのものに罪は無いのですが・・・。
2020年6月
参考:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B1%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%82%AF
:環境省 九州地方環境事務所 外来生物対策ーオオキンケイギクについて http://kyushu.env.go.jp/wildlife/mat/m_2_3.html
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「鶴巻橋」(八王子・浅川)の8つのブロンズ像
八王子・浅川に架かる「鶴巻橋」について少し調べてみました。
「鶴巻橋」は八王子市役所新庁舎の建設にともない1986年(昭和61年)に架けられました。長さ160m、幅14.2m。橋の名は市民からの公募により名付けられ、「鶴巻」というのは、この橋の上流かつての元八王子村にあった字名だそうです。
この橋には、八王子を題材にしたブロンズ像が8つ設置されています。
作者はすべて川越出身の彫刻家で、日展評議員・東京学芸大学名誉教授を務めた橋本次郎さん(1919-1997)とのことです。当時、八王子市は「彫刻のまちづくり」というプロジェクトを推進しており、その一環として鶴巻橋にも彫刻が設置されることとなったのかと思います。
以下、南橋詰から 「乙女」、「鶴舞」、「松姫」、「夕やけ小やけ」、「由比の牧」、「千人同心」、「八王子」、「桑の都」と題名が付けられています。
「乙女」 「鶴舞」 「松姫」 「夕やけ小やけ」 「由比の牧」 「千人同心」 「八王子」 「桑の都」
八王子市役所のサイトに作品説明が掲載されています。以下、引用します。
乙女
【作品説明】
この作品は、ギターを抱えた若い女性の裸像。これからの文化をになう若人がギターをつまびく乙女の姿で八王子の発展を望んでいる。
「学園都市八王子は、若人の街。未来に向かう若い力に期待する」と作者は語る。
鶴舞
【作品説明】
市の花、ヤマユリの絵柄の衣をまとい鶴とともに大空へ舞い上がる女性の像。市民公募で名付けられた「鶴巻橋」をどのような形で表したらよいかと考え、乙女と鶴の舞姿を組み合わせて衣装に市の花ヤマユリを彫った。
作者の、八王子の平和と発展への願いがこめられている。
松姫
【作品説明】
市の歴史上の人物である武田信玄の息女松姫をモデルにしたもの。武田信玄の息女・松姫は織田信長の長男・信忠との婚約が成立したものの、両家の不和によって実を結ぶことなく、信忠は本能寺の変で自害。武田氏滅亡で追われ武蔵に逃れた松姫は、八王子に庇護されて尼となり信松院を開基しました。
「いつもやさしさを忘れないでほしいと思い、松姫さまを選びました。」と作者は語る。
夕やけ小やけ
【作品説明】
かすりの着物を着た小さな男の子と女の子が、赤とんぼを追って夕焼け小焼けの空を眺めながら山を降り、ゆうげの我が家に帰る姿を表している。童謡作家中村雨紅(本名 高井宮吉)の故郷は八王子で、小さな男の子が指差している方向、宮尾神社境内には「夕焼け小焼けの碑」がある。
「恩方出身の詩人・中村雨紅が作詞した童謡夕焼け小焼けをそのままイメージした。」と作者は語る。
由比の牧
【作品説明】
今から千年ほど昔、弐分方町一帯に朝廷直轄の牧場「由比の牧」があったといわれることに基づいて作られている。平安時代、武蔵国は、代表的な馬の産地で、石川、小川、由比、立野という4つの官営の牧(牧場)があり、このうち、由比は現在の弐分方町、石川は現在の石川町であるという説がある。
「若駒にまたがった童子の姿に、躍動感を感じていただけたら」と作者は語る。
千人同心
【作品説明】
八王子の歴史の中で大きな存在である「千人同心」立像。江戸時代に入り、徳川家康は、八王子を政治的にも軍事的にも重要な地として武田の小人頭を中心に甲州口の警護に当たらせた。この警護にあたった武士が千人同心。同心の多くは、ふだんは農耕に従事し、いざというときに武器を持って戦う半農半士の生活をしていた。
彼らは、1652年からは、日光東照宮の火消し役を命ぜられて交代で赴任。また、18世紀後半になると、千人同心、特に二男、三男の生活は困窮していたが、この頃、北方警備の重要性が認識され始めたため、千人頭の原半左衛門胤敦は、北海道の警備と開拓を志願し、1800年に苫小牧に渡った。しかし厳しい自然条件の中で不毛の地を開拓するのは、過酷で1809年に八王子に戻る。
作者は「左手を脇差に、右手に槍を持ったこの同心は、何百人もの同心たちを従えながら、歩いているんです。」と語る。
八王子
【作品説明】
八王子の名の謂れである民話と、市の木・イチョウとを組み合わせて造形を試みたもの。
その民話とは、「大和の牛頭大王がお手引き地蔵に手を引かれて八王子に招かれ、この地を治めたが、大王は大和恋しさで帰ろうとした。村人たちは帰らないでくれと申し出て、困り果てた大王は8人の王子を残して帰られた。」というもの。
市の木、イチョウの葉陰から顔をのぞかせているのが8人の王子。
桑の都
【作品説明】
カゴを抱えて桑の葉を摘む、若い女性の像。
桑都とも呼ばれた八王子は、織物業が盛んだった。周辺の農村では、桑を植え養蚕を行い、生糸を作り織物が織られた。こうした織物は、八王子市場に集荷され、18世紀後半には、江戸町人の勢力台頭と幕府の奨励もあって、八王子地方は桐生、足利と並ぶ織物の産地として全国的に市場を拡大した。
また、1958年外国貿易が開始され、輸出(生糸)は八王子・武州・上州・甲州・信州の養蚕地帯から八王子に集められた。この搬出ルートが「絹の道」である。鑓水を中心に「鑓水商人」が活躍し、異人館が建つほどであった。
「織物の街八王子から、第一に頭に浮かんだのが養蚕。これからは、国際感覚を備えた都市に発展して欲しいという願いから、女性の姿はロングドレスの洋装にした。」と作者は語る。
八王子市役所公式ホームページ https://www.city.hachioji.tokyo.jp/kurashi/shimin/005/002/002/p000018.html
私はこの「鶴巻橋」周辺でよく撮影をしますが、狭い街道沿いに町並みが造られていった八王子の中では、貴重な「開けた」空間です。四季それぞれに川沿いの表情があり、欠かせない撮影スポットです。ただ、少し残念なのは昨年2019年の相次いだ台風の影響で、かなり景観が荒れてしまっている事です。まだまだ爪痕が沢山残っています。危険な個所も多いです。その中で新たな「地形」が生まれてもいます。
そんな浅川について知ったことを、また別の機会にアップ出来ればと思います。
2020年5月
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